建て、建つんだ、城 vol.8 広島城
お憑かれ様でございます、ジョニーでございます。
毎度毎度、ステキなお城をご紹介させていただいております、この城コラムなんでございますけれども、
取材からだいぶ経ちましたが、今回も新鮮でホットでオールドなお城をとりあげます。
今回は・・・・
広島城!!
そう、広島にあるお城なんですね。
まー広島といえば、牡蠣にお好み焼きにカープ!
まぁこのあたりは鉄板だとしてもですね、
あたくしがちょっぴり「すごいなぁ」と感心させていただいたのは、
かなり街が集約されている!!ということです。
美味しいもの食べるにも、(´∀`*)ウフフなことするにも、酒飲むにも、もちろん城にいくにも、
すべてのことがわりと狭いエリアで事足ります。
道頓堀とか、あのあたりの「昔は堀だったんだろうなぁ〜」なんて名前も、なかなかに、ふふふ、オツでございます。
しかしまぁ、やっぱり東京の街は広いんだなぁ、なんて改めて思ったりしますけれども、
そんな広島の中心にドデーンと構える、この広島城。まずはご覧ください。
どうですか。なかなかりっぱでござんしょ?
この広島城、築城はあの毛利元就の倅、毛利輝元さんです。
大坂城を手本にした広大な城で、毛利家にとっては念願の平城(平地のお城)です。
それまでは毛利氏というのは吉田郡山城(後ほどこのコラムでも取り上げます)という山城(山の中のお城)を本拠地にしておりました。もちろん、防衛にはそっちのほうがいいんですけれども、
平地に本拠地を構えるということはそれだけ地位が安定しているということなんです。ま、「どっからでもかかってこいや。ふははは」てなもんですな。
さて、毛利さんが関が原で破れますと、なんだかんだいって次に入ったのが福島正則。
この方は槍の名手として名をはせた方で、秀吉子飼いの武将としては加藤清正と並んで有名ですね。
福島さんは義理人情の人としても有名で、最後まで豊臣への忠誠を忘れなかったことで有名です。これもいつか取り上げたいエピソードなので、そのうち。
さて、その後は忠臣蔵の浅野氏に領主を移したりしつつ、お城の規模を縮小しつつ、原爆を浴びつつ、
今に至るわけです。
歴史的に見ればわりと悲劇の城ですね。
いまは広島のシンボルとして、広島の街をいつも高いところから見守っておられますよ。
さて、あたくしの個人的にオススメなお城の鑑賞の仕方なんですが、
これが広島市民球場から城を見る!!といったものです。
三塁側からみれば、ちょっと離れたところから試合を楽しんでいる広島城をみることができます。
広島カープという名前も、鯉城とよばれた広島城から来ているということですし、
ふふふ、なかなかいいじゃないですか。
現在も地元に根付いたいいお城ですね。
では今回はこの辺で。
お後がよろしいようで。