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ナントカと人(β)



大坂城を語れるというダンディズム


お憑かれ様でございます、ジョニーでございます。

毎度毎度、ステキなお城をご紹介させていただいております、この城コラムなんでございますけれども、 今回はですね、江戸城に続いて大事なお城、

大坂城を取り上げさせていただきます。

大阪城外観

ちなみに、じゃないですよ、、です。


これは江戸時代にですね、「坂」という字が「土に返る」と読めて縁起が悪い、ということから、大阪になったらしいんですけれども、ま、これもホンマかいな?といった感じでございますな。

他に、明治政府が「坂」「士が反する」(つまり裏切る)と読めることから、阪、の字を取った、とかって説もありますけれども、ま、どれが本当なんでしょうかね。






本題に戻します。
この大坂城、誰がいったか日本三大名城の一つなんだとかってんで、名古屋・熊本のお城と共に名城扱いなんでございます。

けれども、ま、あたくしに言わせれば名古屋も大阪も、
「土足可な城の何が名城か!!」
といった心持ではありますけれども、

とにかくそういう風説です。




この地、元々は石山本願寺、という浄土真宗の本山ともされるお寺の地でございました。
その前は古墳だった、とかなんとか説はありますが、定かではありません。


その石山本願寺、戦国時代にやめときゃいいのに(?)織田信長にたてつきまして、 焼き討ちに遭います。
(織田さんはやることが怖いくらい徹底的ですな)




その後、その信長が明智に殺され、明智が秀吉に殺され、さらに秀吉は賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に勝利し、いよいよ天下が見えてきたその時に、焼けた本願寺の跡地に立てたお城、これが大坂城なわけです。

完成に1年半もの月日を要したこの大坂城の本丸は、金箔・石垣・外観5層の豪華かつ強靭な造りになっていたそうな。
本丸だけじゃなく、そのお堀から何からもう、すごい大きさです。
後ほど述べますが、そりゃあ、夏・冬の二段攻めをしないと、落ちないわけですよ。






んで、秀吉が築城したはいいけど死去してしまい、息子の秀頼が継いだわけなんですけれども、これが当時はまだまだ幼少。
大坂城は家臣・石田三成と徳川家康の権力闘争に巻き込まれ、てんやわんやの大騒ぎ。

結果はご存知、徳川さんの勝利に終わったわけなんですが、まだまだ、大阪城の不幸は続きます。






天下統一をもくろむ権現狸、徳川家康にとって、豊臣家はまさに目の上のたんこぶ。というか邪魔。
言いがかりのような理由をつけられて、問答無用のフルボッコw
本願寺よろしく、大阪城も焼き討ちにあいます
(家康さんも徹底的でいらっしゃるwww)



大阪城の今



現在の大坂城は江戸時代に作り直されたものをさらに作り直したもので、
秀吉の時代の遺構は土の中だそうです。
また、鳥羽伏見の戦いなどで、微妙にスポットを浴びることはありましたけれども、ま、あくまでマニアックな域を出ないということで、
歴史の表舞台に建つようなことは、ま、大阪の陣以降はなかった、といっていいんじゃないでしょうか。
現在の復興天守閣は大戦前のもので、1t爆撃とも言われる空襲もなんとか耐え切り、現在に至る、といったことでございます。





先ほども申しましたが、冷暖房完備の土足可、完全に現在は博物館と化しております。
ちょっとあたくしのような城好きから言わせていただければ、寂しい感じもありますが、ま、バリアフリーエレベーターなど、便利といえば便利でございます。


城好きになる第一歩、としては、ロマンあり、知名度あり、便利、ということで、オススメ度★★★でございます。





それでは今回はこの辺で、お後がよろしいようで。




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